事業内容について教えてください。
岡本さん:建築業の中でも板金工事を中心に、屋根や外壁といった外装の施工を主に手がけています。
昔から外装まわりの仕事をずっとやってきましたが、近年は内装工事まで含めた総合的な工事も行うようになってきました。
今目指しているのはリフォーム全般が引き受けられるような「元請け」としてお客様と直接向き合うスタイルです。
これまでは下請けとして現場に入ることが多かったんですが、なるべくそうした案件は減らしていきたいと考えています。
自分たちでお客さんを掴んで、自社で責任を持って対応していく。そんな体制を少しずつ作っているところです。
元請けにこだわる理由は、やっぱり工期や予算の自由度、それから職人にちゃんと給料を払っていくためには必要な変化だと感じているからです。
これまで12〜13年ほど商売を続けてきて、物価高騰などの社会の変化もある中で、会社をギリギリで回していくだけじゃ続かないなと痛感しています。
だから今は、どうやったら持続可能な経営ができるのか。
そこを常に試行錯誤しながら動いています。
親父の背中と、自然な流れの中で
この業界に飛び込んだきっかけを教えてください
岡本さん:この仕事を始めたきっかけは、やっぱり親父の存在が大きかったです。
親父も昔、職人として現場に立っていて、僕はその背中をずっと見て育ってきました。
業種は違えど、同じような建築関係の仕事をしていて、自然とその流れに乗るような形でこの世界に入りました。
正直に言えば、僕は高校も中退して、勉強らしい勉強もしてこなかった。
だけど、当時は職人を目指す仲間も多かったし「ふらふらしてたけど、気づいたら現場にいた」というのが本音です。
最初に関わったのは、親父と同じくサイディング工事。
でも、しばらくして板金の仕事にシフトしました。
独立したのは24〜25歳の頃。これも、たまたま周りから「仕事やってくれないか」と声をかけてもらったのがきっかけでした。
どこかで長く修行したわけでもない。準備万端で始めたわけでもない。
でも、そのときの流れで、ひとりでやってみようと思えたんです。
最初は何もなかった。でも、少しずつ、なんとかここまでやってこられました。

親父の体調不良と、背中を追いかけた日々
独立を決意した瞬間について教えてください
岡本さん:独立することになった大きな転機は、やっぱり親父の体調が悪くなったことです。
もともと親父も職人で、僕がこの道に入ったのも背中を見てきたからっていうのが大きいんですけど、体を壊してしまったのをきっかけに「なんとか助けてやらんとな」と思ったんです。
当時は他のところに勤めてたんですけど、「一緒に手伝うか」と自然な流れで現場に入るようになって。
その前後で、実は一度サイディング屋として20歳くらいで独立もしてるんです。
最初は自分で仕事を取って、1人でやってたんですけど…これがまあ、しんどくて。
朝から晩まで1人で現場まわって、体も限界。
夜まで働いて「これはこのままじゃもたんわ」と思ってたところに、親父の病気の件があった。
それと同時に、板金の仕事の話もぽつぽつもらえるようになって「だったら、もうこっちでやっていこうか」って、流れに任せたところもあります。
ただ、板金って簡単に始められるもんじゃないんですよ。
機械や設備にかかる投資も大きいし、それこそ最初の数年は手持ちの道具でなんとか回すみたいな時期もありました。
10年やって、ようやく今、少しずつ整ってきたという感じです。
職人が独立するって、外から見ればカッコいいかもしれないけど、現実はかなり泥くさいし、しんどい。
それでも、やっぱりこの道しかなかったし、この道だからこそ、今があると思ってます。
5年後にやっと一人前。それでも、価値が見合わない世界で
仕事で大切にされている事を教えてください
岡本さん:僕らの世界って、最低でも5年やらんと一人前にはなれん世界なんです。
たとえ5年やっても、そこからまた学び続けるのが当たり前。僕だって、まだまだ勉強の連続です。
でも、その5年間って、めちゃくちゃ過酷なんですよ。夏の炎天下、冬の極寒、道具も重たいし、作業も神経使う。
そんな中で「見習い」みたいな形で入って、給料も高くない。
それでも続けるって、本当に気持ちがないと無理です。
今の若い子たちがなかなかこの業界に来たがらないのも、正直なところ無理ないと思ってます。
だって、頑張っても報われるイメージがないんですから。
現場で汗流して働いても「しんどい割に儲からん」ってなったら嫌ですよね。
でも、それを嘆いてるだけじゃ変わらんので、僕は元請けの仕事を増やして、単価をしっかり取れる構造を作りたいと思ってます。
ちゃんとお客さんと向き合って、丁寧な仕事をして、それに見合う報酬をもらう。
そうやって利益を出していかないと、職人にも還元できないですからね。
技術には価値がある。その価値をちゃんと認めてもらえる社会にしたい。
そのために、僕らの方でも仕事の取り方やブランドの作り方を変えていかんなんと思ってます。

いい土地だからこそ、もっと盛り上がってほしい
富山という土地について、どのような思いがありますか?
岡本さん:富山って、住んでるとすごくいい場所だと思うんですよ。
自然もあって、海も山もあって、災害も比較的少ない。
実際、最近の震災でも被害は少なかったですし、地震のリスクで見ても安心できる場所だと感じています。
でもね、もうちょっと盛り上がってほしいなっていうのが正直なところです。
遊びに行く場所も限られてるし、これっていう目玉がないというか…。
住んでて不便はないんだけど、なんか“あと一歩の何か”が足りない気がするんです。
だからこそ、地域としてもっと活気が出たらいいなと思うし、自分も何かできることがあれば、少しでも力になれたらとは思っています。
ただ、正直言って「これがやりたい」っていう明確なものはまだ見えてないんですよね。
建築業として何ができるか?って考えると、自分ひとりの力じゃ難しいことも多い。
だけど、地域に役立てるような場面があれば、そのときは全力で応えたいなって気持ちは、ずっと持っています
一緒に飯が食える仲間と、しっかり続けていくために
今後の展望を教えてください
岡本さん:今後の展望って言われると、派手な目標よりも「一緒にやってくれる仲間たちと、ちゃんと飯を食っていく」っていうのが一番にあります。
うちの会社に関わってくれる人たち、職人として一緒に現場に立ってくれる人たちには、できるだけ楽しく、ちゃんと生活できる形でいてほしいと思っています。
だからこそ、下請けじゃなく元請けとして仕事を取りにいくスタイルにこだわっているし、それが回るようになれば、賃金の面でも環境の面でも、良くなっていくはずなんですよ。
職人の世界って、どうしても「キツい・儲からない」ってイメージがあると思うんです。
でも、衣食住って、どんな時代でも絶対に必要な仕事じゃないですか。
だったら、ちゃんと稼げる仕組みをつくって、若い子たちが「この仕事、アリやな」と思ってくれるような世界にしたいんです。
自分もまだまだ発展途上ですけど、そういう未来を目指して、毎日現場に立ってます。

楽しさも、苦しさも。その先にしか見えないものがある
若い世代に向けてのメッセージをお願いします。
岡本さん:この業界って、正直言って楽な仕事じゃないです。
夏は暑いし、冬は寒いし、技術を覚えるのに5年はかかる。
でもね、それでも俺は、この仕事を続けてこれたんですよ。
たぶんそれは、途中から「仕事を楽しめるようになった」からなんだと思います。
最初は稼ぎたいってだけで始めたけど、現場で自分の手でつくったものが形になって、お客さんが喜んでくれて、それが評価に繋がる。
それがだんだん楽しくなってきたんです。
だから、若い人にも伝えたいんですよね。
今、楽しくないとか、自分に向いてないって思ってても、続けた先でしか見えないものってあるよって。
それに、どんな仕事だって「この仕事でちゃんと飯を食っていく」って腹くくったら、見える景色も変わってくると思うんですよ。
楽しいとか、好きとかって、その先にあるものだと思うから。
自分は、そんな仕事をこれからもやっていきたいし、同じように頑張ってる人たちと一緒に、楽しく、誇り持って働ける環境を作っていきたいです。

ライター:長谷川 泰我