「福祉×ものづくり」で描く、新しい就労支援のかたち
まずは、現在の事業について教えていただけますか?
髙田さん:会社名は「株式会社高田工芸」で、事業所名は「アルテマーノ」って言います。もともと個人で立ち上げた会社なんですけど、関東から富山に戻ってきたタイミングで設立しました。
数年間、こちらでモノづくりをしながら販売したり、オーダーを受けて製作してきた中で、福祉関係の方々と知り合う機会があって。色々とお手伝いさせていただく中で、自分でも福祉系の事業、いわゆる「就労継続支援B型事業所」を立ち上げることにしました。
その際に、法人名と事業所名は別にしなきゃいけないルールがあるので「高田工芸」が会社名、「アルテマーノ」が事業所名というかたちになっています。
うちの事業所では、主に革製品とアクセサリーの制作を中心に取り組んでいます。
革製品については、基本的に自分たちで作って、自分たちで販売まで行うスタイルです。ネット販売もしてますし、委託やOEMで制作することもあります。
知り合いの方から「こういうの作ってくれない?」って頼まれることも多いですね。
前職でもオーダーメイドのジュエリーや腕時計、革製品など、身の回りのものをなんでも作る仕事をしていました。設備や素材、技術についてもずっと学び続けてきましたし、人を育てるっていう面でも長く経験を積んできたので、モノづくりと人づくりを並行してやることには抵抗がなかったんです。

人生の転機と、福祉との出会い
創業の背景を教えてください。
髙田さん:前はずっと関東で働いていまして、拠点は東京や神奈川、横浜が中心でした。
前職では管理者という立場でやっていたんですけど、その会社がどんどん大きくなっていく中で、果たして自分はこのまま会社の歯車として残りの人生を終えていっていいのかっていう思いが、常にあったんですよ。
自分自身の技術をどこまで高められるのかっていう欲求もありましたし、40代に差しかかった頃には、そういうバランスがずっと頭の中にありました。
そして、父が亡くなったこともあり、母一人で過ごさせるのもいかがなものか…それがきっかけとなって、富山で今の仕事を始めるに至りましたね。
富山に戻ってきてから最初にやったのは、オーダーの指輪や時計づくりでした。
1つ作っては1つ納品、という感じで。個人でやる範囲のことなので、それはそれで悪くないなとは思っていました。でも、自分がこれまで積んできた知識や経験を考えると「もっとできることあるんじゃないか」と思うようになって。
特に、困っている人を見るとどうしても放っておけない性格なので…。
最初から福祉の事業をやろうと思ってたわけじゃないんですよ。
当初は、一般向けの革細工の教室をやりたいなっていうプランはありました。でも、実際にいろんな人たちと出会う中で「もっと困っている人たち」がいる現実を見てしまった。
それが、障がいを持たれてる方々だったんですよね。
外注の仕事で、いろんな場所に出入りする中で、福祉系の施設、たとえばA型の事業所だったんですがそういうところで教えたりもしていて、そこで教える内容の質とか、作るもののレベル感とか、教える環境そのものに疑問を感じることが多くて。
とくに、そこに通っている人たちの「将来が見えづらい」というのが、いちばん大きな問題意識でした。このままで本当に就職につながるのか?って。
でも、技術よりも大切なのは「モノづくりを通して、働くマインドを育てること」だと思っていて。
私は仕事に対しての姿勢とか、やりがいとか、そういう精神的な面を育てる場をつくりたいなって思ったんです。
外注として関わっていた頃は、あくまで「これをやってください」という仕事だったんですけど、自分が運営する立場になれば「こうしたい」「こうすればもっと良くなる」という思いを形にできますし、より具体的に動けると思ったんです。
この事業所を始めるときに一番の動機になったのは「より将来が見えづらい人たちに対して、少しでも役に立ちたい」という気持ちですね。
もちろん障がいの種類もいろいろあって、精神の方もいれば、知的、身体的な方もいる。その中でも、例えば精神の方だと、外に出ることすら難しい人もいます。
働くことに対するモチベーションや考え方も、日々働いてる人と比べるとすごく低い。
でも、そういう状態が10代、20代のうちに始まってしまったら、その先30代になってどうなるのか…。その未来がもう見えてしまうんですよ。だからこそ、10代・20代のうちにちゃんと通えるような、下地をつくる。
働くための動機づけになるような場所を、ここで提供できたらいいなと思っています。
今も実際に10代の子や20代前半の人たちが通ってきてくれていて、そういう若い人たちにとって、将来に繋がるような「小さなきっかけ」をここで見つけてもらえたら、それが私にとって一番のやりがいです。

手づくりで道を拓く。想いを形にする日々
仕事で大切にしていることは何ですか?
髙田さん:「できることはやりますよ」っていうスタンスなんですよね。
あれこれ全部できるわけじゃないし、無いものは無い。でも、あるものについては最大限に提供したいと思ってるんです。
限られたお金、限られた場所、その中でできることを惜しまずにやる。自分の年齢を考えても、もう折り返しは過ぎていて「あと何ができるんだろう」っていう感覚が常にあるんですよ。
前職を辞めるきっかけにもなったのがそこなんです。
40を過ぎて、残りの人生どう過ごすか。会社の歯車として残るのか、それとも自分のやりたいことに振り切ってみるのか。最終的には後者を選びました。
どうせやるなら、ちゃんと人のためになることをやりたい。少しでも後に繋がるようなことを。
「社会貢献」と言うと大げさかもしれないけど、自分がやってることが、少しでも人の役に立ててたら嬉しいですよね。
たまたま富山の高岡っていう場所でやってますけど、若い人を中心に「こういうものづくりがしたい」「就労に繋げたい」っていうニーズが確実にあると感じてます。
遠くから通ってきてる人もいるし、そういう人たちの背中を、少しでも押してあげられたらなって。
そして、うちは全部手作りなんですよ。この事業所の内装だって、壁貼ったり天井作ったり、扉作ったり、スタッフと一緒に全部自分たちでやってる。
利用者さんにも「こうやって現場はできてるんだよ」っていうのをリアルに見せてあげたい。それが一つの成長にもなるし、何かを一緒に作り上げるっていう経験にもなると思うんです。
だから、大変ではあるけど、全部意味のある苦労だと思ってます。
以前いた会社も、最初はたった1店舗の宝飾店だったんですよ。
そこに入社して、社長と数人で会社を動かしながら、数百人規模の会社にまで成長していくプロセスに携わらせてもらった。ヒット商品を生み出して、ブランディングして、店舗も売上も年単位で伸びていって。
人事もシステムも、自分たちで全部構築していく。そういう5年、10年のスパンでやってきた経験が、自分の土台になってます。
今の会社はまだまだこれから。高田工芸としては2017年に法人化してるので7年目ですが、このアルテマーノはまだ2年目です。
ただ、売上とか会社の見た目だけを追いかけたくはないんです。軸がぶれないようにいたい。
就労支援になるかどうか、困ってる人たちにちゃんと手を差し伸べられているか。その本質の部分を忘れたくないし、今も、これからも、きっとそこが自分の中での「核」になると思ってます。
ものづくりを通じて働く意味を感じてもらえる、そんな場をつくっていきたいですね。

土の匂いと、人のゆとり。富山で暮らす意味
富山の良さって、どんなところだと思いますか?
髙田さん:富山の良さ、って言われると…うーん、どうなんですかね。みんなはどう答えてるんですか?って逆に聞きたくなるところありますけど(笑)
ただ、思うのは、やっぱり「のんびりしてる」ってことかな。いい意味で、人生にゆとりを感じる場所というか。もちろん、田舎ならではの厳しさとか不便さもあるとは思うんですけど、それでもなんとなく、ここで暮らしてると「豊かさ」みたいなものは感じられるんですよね。
お金がたくさんあるとか、豪華な生活してるとか、そういうことじゃないんです。
でも、畑仕事したり、田んぼやったり、自然が近くにあって、食べ物も美味しいし…そういう日常の中に、なんとなく「幸せの形」がある。派手じゃないけど、地に足のついた暮らしっていうんですかね。
都会だったら、何をするにもお金がかかるし、時間に追われてるような感覚がある。朝から晩まで電車に揺られて、ようやく1日が終わる、みたいな。そういうのと比べたら、富山は何もしなくても緑があって、空が広くて、土も草も勝手に生えてくるような場所で。
もしそれを幸せと感じられるなら、それが富山の一番の魅力なんじゃないかなって。
ただ一方で、富山ってやっぱり情報の流れが遅いというか、ちょっと取り残されてる感もあるんですよね。企業間のやり取りも、まだまだFAXが多かったり、電話が基本だったり。
メールでいいじゃん、って思うことも多いですし、やりやすい方法があるのに、それがなかなか浸透しない。もったいないなって思う場面はあります。
そういう意味では、生活環境としての「ゆとり」がある反面、情報社会としては「粒度が荒い」というか、現代のスピード感に追いついてないところもあるのかなと。でも、その両方が共存してるのが富山らしさでもある気がします。
富山は、競争が激しい土地じゃないからこそ、1人ひとりにとっての「幸せ」を見つけやすい場所かもしれません。だからこそ、就労が難しい方たちにとっても、自分なりのやり方で働く道を探していける可能性があるんじゃないかなって思ってます。
事業の拡大ではなく、“影響の輪”を広げていく
今後やっていきたいことを教えてください。
髙田さん:今後の展望として考えてるのは、もしニーズがあるのであれば、事業所を増やしていくことも選択肢のひとつかなと思っています。
今やってるこの「アルテマーノ」の取り組みをもっといろんな人に知ってもらって、障がいを持っている方たちの将来の糧になるような場を広げていけたらいいなって。
それから、商品づくりももっと力を入れていきたいんです。ただ物を作るってだけじゃなくて、「これ、本当に障がい者さんが作ったの?」って思ってもらえるようなレベルの製品を作っていきたい。そのレベルになって初めて、ちゃんと製品として価値が生まれると思うんです。
よくあるじゃないですか。「福祉事業所で作ったから買ってあげよう」みたいなボランティア的な価格設定とか、そういう「お情け」みたいな買われ方。
でも、そういうのって本質的じゃないと思うんですよね。作り手として、やっぱり「誰かが本当に喜んでくれるものを作る」っていうのが大事だと思うんです。
だから、うちで作る製品も、既製品に負けないレベルに仕上げていきたいし、できる人は職人レベル、一流を目指してもらいたい。もちろん、そのレベルにまだ達していない人には、それぞれの段階をしっかり踏んでもらえるようにサポートしていきたい。
そうやって、人に合わせた「ものづくりのステップ」を整えていくことが、自分のやるべきことかなって思っています。
単純に事業を拡大したいっていう話じゃなくて、あくまで「影響の輪を広げたい」。
人を育てるっていうことが根底にあると思うんです。人を育てていくことで、結果として良い製品が生まれる。だからこそ、やっぱりそこに時間も手間もかけたい。
それに、まだまだ日本中に、いやこの高岡の近郊だけでも、頑張りたいのに環境がなくて力を発揮できてない人たちって、いっぱいいると思うんですよ。
そういう人たちをひとりでも多く掘り起こして、何かしら将来につながるようなものづくりの提案をしていきたい。そんな風に思ってます。

都会を見てから、富山で「ここでしかできないスタート」を
若手世代へのメッセージをお願いします。
髙田さん:若い世代、特に20代前半ぐらいの人たちには、まず一度は都会に出てみるべきだと思いますね。
情報も人もチャンスも多い場所で、自分がどれだけ耐えられるか、どうやって自分を保てるか、そういう「耐久力」を試してみるのも悪くないんじゃないかなと。
あの年代って、いろんな経験を積めるタイミングだと思うんです。だからこそ、無理してでも一度外の世界を味わっておくことには大きな意味がある。そこでの経験を通して、「自分にとって何が合うのか」「どんな人生を歩みたいのか」っていう視点を持てるようになる。
それを踏まえた上で、富山に戻ってくるっていう選択肢が見えてきたら、それはすごくいいことだと思うんです。
東京でできること、富山でしかできないこと、それぞれあると思うんですよ。
でも「ここじゃなきゃできないスタートの仕方」っていうのは、やっぱりあると思ってて。私自身も40代でいろいろ経験して、結果としてここ富山で、こういう事業を始めることになったわけで、そういう“ここだからできる”スタートを探す意味でも、まずは視野を広げておくのが大事かなと。
そのためには、まず情報の取り方を考えてほしいなって思います。
今ってネットを見れば情報は山ほどあるし、人から聞く話も多い。でも、1つ聞いてそれを全部だと鵜呑みにしてしまうと、判断がブレちゃう。
自分の夢や目標があるなら、それに必要な情報がどれかをちゃんと選び取れるような、そういう冷静な目線も必要なんじゃないかと思いますね。
働くって、突き詰めると「誰かのためになること」だと思ってます。
自分が今やってる仕事が、誰のために、どう役に立っているのか。そこをちゃんと考えられる人が、きっと自分の仕事に誇りを持てるんじゃないかな。
福祉とものづくりが合わさった今の事業を通しても、その「バランス」は本当に難しいなって思うんです。通ってる人たちのためにもなるし、同時にお客さんにちゃんと喜んでもらえるものを作る。その両立を意識するって、簡単なことじゃない。
だからこそ、若い世代のみなさんには、情報に流されずに、自分の目と頭でちゃんと判断して、やりたいことの本質を見失わずに進んでいってほしいなって思います。
自分の仕事が、誰かの笑顔にどうつながっているか。
そこを考えることが、働く意味を見つけるヒントになるんじゃないでしょうか。
ライター:長谷川 泰我