古民家から始まった“仲間づくり”が、いくつもの事業に広がっていった
事業内容を教えてください。
中谷さん:一般社団法人「とやまのめ」で代表理事をしています、中谷です。
私たちの活動を一言で言うと「リコミュニティ」。
つまり既にあるコミュニティの再生をテーマにした取り組みです。
始まりは、射水市にある一軒の古民家でした。
みんなで草刈りしたり、片付けをしたり、上下関係のないフラットな作業を続けているうちに、人が1人、また1人と集まってきて。
そこで一緒にご飯を食べたり、地域のお悩みが持ち込まれたりして、いつの間にか“人と悩みが集まる場所”に育っていきました。
そこから事業が広がり、今は大きく分けて4つの柱があります。
- スプラウト農家の事業承継
富山県のスプラウト専業農家を承継し、ブロッコリースプラウトなどを生産しています。 - 移住・空き家・すし店誘致など、射水市の課題解決(行政受託)
移住窓口、空き家活用、女性コミュニティ、学生チャレンジ支援などを行政と連携して実施しています。 - 飲食店「魚安」の事業承継プロジェクトへの参画
砺波市の老舗・鮎料理店「魚安」の事業承継に携わり、未来に繋ぐ取り組みを行っています。 - 事業承継のサポート
自社で承継するだけでなく、地域の事業承継・後継者支援にも取り組んでいます。
事業は増えていますが、どれも出発点は同じ。
“仲間がいる場所をつくったこと” がすべての始まりなんです。

教員志望から銀行員へ、そして「学校をつくる」という夢のかたち
もともと教員を志望されていたのですよね?
中谷さん:そうなんです、私の両親は教員で、祖父も教授なんです。
家の中に教育が自然とある環境で育ったのですが、次第に私自身も教員になりたいと思うようになっていました。
中でも決定的だったのは、子どもたちが学校での出来事を嬉しそうに話す姿でした。
その表情の変化を見るたびに、「言葉ひとつで人の気持ちってこんなに動くんだ」と感じて、教員という仕事に惹かれるようになったんですよね。
ただ、社会に出る子どもたちを教えるなら、まずは自分が社会に出るべきだと思って、銀行員になりました。働いていく中で、次第に「学校の中から教育を変えるのは難しいな」と感じるようになって。
そこから“教員”になるという夢から少しずつ、学校教育の中では教えられないことを教えられるような、外から教育に関わる道を探すようになりました。
そんな時に、「富山でまちづくり会社をつくるんだけど、一緒にやらない?」と声をかけてもらったんです。教育とは関係ないように見えるかもしれませんが、まちづくりって結局「人が育っていく環境をつくること」なんですよね。
それが、自分が探していた方向とすごく近かったんです。
富山に来たこともなかったのですが、「永住できる?」と聞かれて迷わず「できます」と答えました。
今思えば「本当に永住するかどうか」ではなく、覚悟を見られていたんだと思います。
2019年に移住してからの3年間は、飲食店、公園管理、イベントなど、とにかく現場に入り続けました。その中で、まちづくりはやっぱり“人づくり”だと強く感じるようになり、そこから「コミュニティづくり」への関心が一気に高まりました。
そして、古民家との出会いがあって、「とやまのめ」が生まれました。

“挨拶ができてない”と言われて、100件回った日々
立ち上げてみて、最初はどうでしたか?
中谷さん:富山に移住してきて、最初に突きつけられたのは「挨拶ができてない」という指摘でした(笑)。「地域のお悩みを解決するんだ」と意気込んで来たつもりでしたが、地域からすると“知らない若者が急に来た”だけだったんですよね。
当時のことは今でも鮮明に覚えています。
「挨拶がないぞ」
「若者が何するんだ」
「移住してくるなんて聞いてないぞ」
正直、めちゃくちゃ悔しかったです。
そこで、前の地域団体の方とも話していたら、「周りだけ挨拶するんじゃなくて、まずは100件回ろう」と言われて。そこから一軒一軒ご挨拶に回りました。
その頃に最初のお悩みとして寄せられたのが「クリスマスツリーの点灯」だったんです。
お金にもならないし、大変だしで正直「これ、本当にやる意味あるのか?」と思ったこともあります。
でも今振り返ると、あの件があったから次のお悩みが来て、次第に人が集まっていった。
当時は半信半疑だったことも、今振り返るとなにひとつ無駄じゃなかったんですよね。
“ソーシャルグッド”がないと、人もお金もついてこない
大切にしている価値観を教えてください
中谷さん:私たちが一番大切にしているのはソーシャルグッドな価値観です。
つまり「それは地域のためになっているか?」「社会のためになっているか?」という視点ですね。
日本の事業は、経済価値だけを追うと、人もお金も、最後は離れていくと思っています。
だから私たちは、社会的価値 × 経済的価値
この両方が成立する事業しかやらない、というスタンスです。
その象徴的な例が、スプラウト農家の事業承継でした。
5期連続赤字ですごく苦しかったのですが「スプラウト1パック1円を子どもたちのチャレンジに寄付する」という 「#みらいのめプロジェクト」 を始めたことで、ストーリーが伝わり、スーパーにも広がっていきました。
これらの取り組みは組織としても、誰も強制されてやっているわけではありません。
みんなやりたいからやっている。
その上で、何度も挑戦し続けて1人ひとりがバージョンアップしていったからこそ、今の形があります。


若者が挑戦できる文化と、大人側の“権限移譲”
富山がより良くなるには何が必要だと思いますか?
中谷さん:富山がより良くなるために必要だと思うのは、若い子がキラキラした目で挑戦できる環境です。
今の富山には、挑戦のフィールドがまだまだ少ない。
失敗を恐れる空気すらあると感じています。
だからこそ、大人側がまず権限を渡すことが重要だと思いますね。
「任せるよ」と口で言うだけじゃなく、本当に任せる。
失敗しても大丈夫な環境ごと用意する。
私も農園や飲食店をどんどん若い子たちに任せています。
そして、経営者層と若者が接点を持つ場をもっと作らないといけない。
ただ集まるだけじゃなく、次のステップに繋がるような出会い方が必要です。
もちろん、若者側にも「考えて動く」姿勢が必要です。
単に「やりたいです」と言うだけでは続かないので。
挑戦する若者を後ろから支え、その姿を見た別の若者がまた挑戦する、
そんな循環が富山に生まれるといいなと思っています。

夢を見続けられるフィールド”を作り続けること
今後の展望をお願いします。
中谷さん:代表としての役割は、みんなに夢を見続けさせてあげることだと思っています。
私たちはお金だけで繋がっている組織ではなく、ビジョンや夢で繋がっているので、その夢を前に進める旗を掲げ続けるのが私の役割です。
事業としては、引き継ぐ事業は今後もっと増えていくと思います。
20社、30社、50社と増えるにつれて、事業同士がシナジーを生み、そして若者の“出口”も増える。
私は“チャレンジできるフィールド”を増やすことを続けます。
そしてその中心に「学校」を作る構想があります。
学校と言っても、校舎が建つイメージではなく、学校では教えられない“一次産業”や“事業づくり”を学ぶ場所。そこで育った子たちがとやまのめに入り、チームを作り、事業を承継していく。
結果として、失われるはずだった産業が次の世代へと引き継がれる。
まずは射水市で、そして富山県全体で。
その事例ができれば、全国にも広がっていく未来も見えています。

失敗を“ストーリー”に変えるかどうかは自分次第
若手世代へのメッセージをお願いします。
中谷さん:若い世代に一番伝えたいのは「失敗を恐れないでほしい」ということです。
私も銀行にいた頃は、失敗が許されない環境で働いてきました。
挑戦するのは怖かったです。
でも今わかるのは、考えるより、まずやってみた経験に勝るものはないということです。
挨拶100件回ったことも、赤字の農園を承継したことも、今ではどれも全部ストーリーになっています。失敗を“失敗のまま”で終わらせるかどうかは、次のアクションで変わります。
そして「やりたいことが見つからない」という子は、まず“行動量”を増やしてみてください。
いろんな大人に会ってみると、必ず何かのきっかけが生まれます。
小さな一歩でいいので、動き続けてください。
その先に、自分だけのストーリーと役割が必ず見えてくると思います。
ライター:長谷川 泰我