イエローハット社長が語る―「Try & Learn」失敗から学び実体験を積み重ねることが「自分軸」をつくる。

イエローハット社長が語る―「Try & Learn」失敗から学び実体験を積み重ねることが「自分軸」をつくる。
株式会社ピア

株式会社ピア

株式会社ピアは、大手カー用品チェーンであるイエローハットを中核に、パソコンスクールや回転寿司とらふぐなど幅広い事業を手がける企業です。
イエローハットでは年間6,000台以上の車検実績を誇り‟トータルカーライフサポート”を掲げ、カー用品や自動車販売をはじめ、整備から保険まで一貫したサービスで、地域の安全・安心な暮らしを支えています。

車検・整備に強みを持つイエローハット。

事業内容を教えてください

松原さん:当社は富山・石川エリアでイエローハット事業を中心に、富山市内で「回転寿司とらふぐ」とパソコンスクール「富士通オープンカレッジ」の3つの事業を展開しています。

イエローハットというと、タイヤやオイル、バッテリーといったカー用品販売のイメージが強いかもしれません。しかし、当社の強みとしては運輸支局の認可を受けた指定工場6店舗、認証工場2店舗を構えて、車検整備に力を入れているところです。
1店舗あたりの車検台数は全国79社あるイエローハット加盟法人の中でも、トップ5に入るぐらい車検整備事業に注力しています。

回転寿司とらふぐと富士通オープンカレッジは、創業者である会長が別事業として立ち上げたものです。富士通オープンカレッジは、会長自身が高齢者にとっての「憩いの場」がないことに気づいたのがきっかけでした。
生徒のほとんどはセカンドキャリアを迎えた70歳前後の世代で、長い方だと10年以上通ってくださっています。また、回転寿司とらふぐは、会長が釣りが好きということと、寿司の消費量が全国的にも高く、色んなご縁があり「寿司をやりたい」という想いから、8年前にオープンした事業ですね。

独立を目指していた自分が、会社を継ぐと決めた理由

創業の経緯と今の事業を承継したきっかけを教えてください

松原さん:当社の創業は1984年です。父である会長は入善出身の‟農家”の四人兄弟の末っ子、母である監査役は‟漁師”の四人兄妹の末っ子という家系です。2人は富山市へ移住し、自動車部品卸業に従事していた父が28歳で独立して、富山市掛尾に「プロフェッショナルゾーンピア」という小さなプロショップを前身に、高岡・魚津へと店舗を拡大しました。
ただ、1990年代前半、時代の流れとともにプロショップだけでは立ちいかなくなると想定し、カー用品チェーン大手のイエローハットに加盟したのが今の事業の出発点だと聞いています。

私が小さい頃は父が事業を立ち上げたばかりで、決して裕福と言えるような環境ではありませんでした。しかし、それこそ父が寝る暇も惜しみながら身を粉にして事業を拡大していく姿を見ていて「自分も父の跡を継いで、父のようになりたい」という想いがありましたね。
ただ、成長するにつれてそういった気持ちは少しずつ薄れていったんです。私が大学に行った頃には「別の優秀な人に事業継承してもいいんじゃないか」というような話もあったと聞いています。

私は大学を卒業した後に大手タイヤメーカーに勤めて、ある程度仕事が出来るようになり、徐々に独立といった思考が自分の中で生まれてきたんです。
実際に、事業計画書を書いて、協力者も集めて、半分以上動き出していたタイミングで、父から「新しい店の店長をやらないか」と声がかかりました。
ただ、自分で立ち上げる事業のこともありましたし、そんな姿をみた会長が、「このチャンスを活かすも殺すもお前次第、富山に帰ってきてこの会社を継ぐのかどっちなんだ」と言われたことが転機となりましたね。(笑)

それこそ、先ほどもお話しした通り、父がこの会社に身を粉にして成長させてきた姿を見ていたこともありますし、今のこの生活があるのも親のおかげという気持ちが強かった。それなら他の人が継ぐより、親孝行半分、会社のため半分で自分が継ごうと考えを切り替えたのです。

もちろん、戻ってすぐに代表になるつもりだったわけではありません。
タイヤメーカーに勤めてはいましたが、イエローハットの実務については全くのど素人だったので、店長や本部長を経て社長に就任するまで、10年ほどの時間をかけてこの会社での経験を積んでいきましたね。

当時、父からは「俺は65歳で退く」とだけ伝えられていて、それ以上の細かい指示はありませんでした。昭和の親父ですから基本ワンマンで、こちらの提案はなかなか聞き入れない。もちろん衝突もありましたが、向こうが折れることはないので、少しずつ自分なりにアレンジして社内体制を変えていくようにしていましたね。

離職率の高さに向き合った本部長時代。従業員の「辞めたい」の電話で精神的に疲弊した日々

社長就任後に大変だったことはありますか?

松原さん:社長就任後、現在に至るまでそこまで苦労したことはありません。
なぜなら本部長時代の5年間でイエローハット事業の統括を担い、経営者に必要なことを学び経験し、試行錯誤してきたからです。ただ、本当に大変だと思ったのはその本部長時代でした。

小売業はどの業種もそうかもしれませんが、離職率が高く、従業員が離れやすいんですよね。
入社当初は毎年十何人も辞めていくような状況で、「この会社は本当に大丈夫か」と思うほどでした。

また就業環境もよくはなく、年間休日はわずか96日。整備スタッフも含めて、深夜1時、2時まで働くことが当たり前の環境でした。各店舗に掲示してある緊急連絡先に私の携帯番号があり、従業員から毎月のように2、3人から「辞めたい」という電話が来ていました。「またか…」と、不甲斐なさに精神的に疲弊した時期もありましたね。

ただ、今の会社の状況で一度に就業環境を全て変えることはできないとわかっていたので、本部長時代から少しずつ改革を進めていきました。年間休日を100日、103日、105日と段階的に引き上げて、現在は109日になっています。
さらに営業時間内での作業効率化や業務の棚卸を行い、営業時間も年々短縮させ、現在は19時閉店まで短縮させました。バースデー休暇や福利厚生サービスなどの福利厚生も地道に少しずつ積み重ねることで、離職率は7〜8年前と比べて大きく改善しています。

辛い顔は見せない。従業員とその家族を守ることがすべての軸

事業を運営する中で松原社長自身が大切にしている事はありますか?

松原さん:社長として常に心がけているのは、辛い顔を見せないこと(ポジティブであること)です。
会社の社長が辛い顔や苦しい顔をしていると、「この会社で勤めていて大丈夫か」と思われてしまう。あくまでも会社の顔ですから、常に明るく、メリハリを持って社員と接するようにしています。

こうした姿勢の背景には、「創業者である父の背中を見て育ち、今の環境を受け継いだからこそ、紡いでいきたい」という想いもあります。また、今後整備工場は後継者不足でさらに減少していく見通しですが、富山県では通勤の9割が車移動という状況です。だからこそ、「この交通インフラを守るのは我々の使命だ」という想いがあるのです。

一方で、業界を取り巻く環境の変化には危機感も持っています。近年、ナビゲーションやドライブレコーダーといったカー用品は自動車メーカーによる標準装備化・内製化が進んでいて、20年後には今の売場の半分はカー用品として不必要なものになる可能性があります。まさに転換期であるからこそ、自社の持続的な成長のため、イエローハット以外での事業の柱を模索しているところです。

まだ具体的な形にはなっていませんが、新事業への挑戦の原動力は、従業員とその家族への責任感です。万が一、今の柱であるイエローハットが傾いても、別の柱があれば同じ会社の中で雇用を守れる。「なにがあっても従業員を路頭に迷わせるわけにはいかない、いや絶対に路頭に迷わせない」というのが、私のミッションの一つです。
同時に、43歳という年齢を意識しながら社長業をしている以上、年を重ねる前にもう一度色んなことにチャレンジしたいという思いもあります。

まずは足元の土台をしっかり固めるために、今後10年は後継者不足で困る整備工場のお客さまを受け入れる体制を整えて、地域No.1を目指したい。人材についても、共感してくれる人財を集めて、地域のお客さまに最高のパフォーマンスを届けたいと考えていて、従業員満足度と顧客満足度の両立を重視していますね

住みやすいけれど、刺激が足りない。富山への想い

富山という場所をどのように見ていますか?

松原さん:前職時代、北海道から沖縄まで全国各地を飛び回っていた自分にとって、富山は全国的に見ても、世界的に見ても住みやすい街だと思っています。新幹線がある駅から空港まで20分弱、さらにはライトレールで街中から岩瀬まで移動できる交通インフラの充実ぶり、美味しいお酒や食事、海と山の近さ。世帯収入も全国トップクラス※①と、客観的に見れば魅力はかなり多いです。

一方で、若い世代にとっての物足りなさがあるのではないかと感じています。休日にどこへ行こうかとなっても、「婦中または高岡の大型商業施設へ行こう」くらいで終わってしまう。東京なら渋谷、原宿、新宿と選択肢がいくつもありますが、富山は行き先がワンパターン化してしまいがちです。

個人的ではありますが、その打開策として期待しているのが大学の誘致です。大学ができれば新たな企業誘致にもつながって、県外から人が移り住んで家族を持つという好循環が生まれる可能性がある。金沢は富山と人口があまり変わらないのに、大学が6校あって、中心部は活気がありますよね。

富山をよりよくしたい気持ちはあるものの、わたし一人の力では到底叶わず、想いがあれば誰でも出来るわけではない。同じ志をもった仲間が必要になる。
富山はいいところがたくさんあるのに、なかなか気づきづらいし、気づいてもらう取組みも少ないように感じます。だからこそ、行政も民間も一緒になって、何本も“尖った”動きが生まれることを期待しています。

※①総務省の家計調査によると、二人以上世帯の勤労者世帯における可処分所得(月額)は約61.6万円(全国第3位など)を記録。製造業を中心とした高い実収入に加え、生活コストが抑えられるため、自由に使える実質的な豊かさが大きい地域とされています。(総務省「2025年平均 家計調査(家計収支編)より引用)

「苦労は買ってでもせよ」すべてはそこから始まる。

若手世代の読者へのメッセージをお願いします。

松原さん:私が思うのは、「苦労は買ってでもせよ」ということです。今は生成AIで何でも調べられて、疑似的に経験した気持ちになれる時代です。でも、それはあくまで機械から得た知識であって、経験が抜け落ちているから本質的には自分の糧にはなりづらいと思うんです

人に何かを教えるとき、あるいは営業の場面でも、実際に経験を積んでいなければ説得力は生まれません。リアルにいろいろなことを経験して、失敗して、Try & error、いや「Try & Learn」で学んでいってほしい。そうすれば、自分で考える力や自分軸が育っていきます。
判断基準がなければ人に聞けばいいけれど、まずは自分で考えて、自ら行動する。それができれば、その人自身の人生も良くなっていくと思います。

私としては創業者からの想いを紡ぎながらも、変化を恐れず次の一歩を模索し続ける。それが今の自分の姿勢です。
株式会社ピアが富山の暮らしを支える存在であり続けるための挑戦をこれからも続けていきます。

企画・運営会社:株式会社ミミタス
撮影・ライター:長谷川 泰我
当メディアに関するお問い合わせ:memi.co.jp

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