当たり前の「河内屋」が、「使命」に変わった日。伝統と革新で富山の食を世界へ。

当たり前の「河内屋」が、「使命」に変わった日。伝統と革新で富山の食を世界へ。
 株式会社河内屋

株式会社河内屋

河内屋は北陸を代表する蒲鉾(かまぼこ)の老舗です。
伝統の「細工かまぼこ」で数々の受賞も受けながら、鮨蒲(すしかま)など斬新な「かまぼこ」を誕生させるなど、常に新しい努力と挑戦を重ねています。

幼少期の私にとって「河内屋」は、当たり前の存在だった

幼少期、河内屋の存在はどう映っていましたか。

河内さん:私にとって河内屋(かわちや)は本当に「当たり前」の存在でした。身近すぎる存在というか、生活の一部ですね。実家がこのビルの4階にあるので、外に出る時は必ず事務所なりお店を通るんです。友人を呼んだ時も、ビルを上がりながら「かまぼこの香りがする」なんて言われるような。そういう環境でした。

実は12月20日が誕生日なんですけど、これが繁忙期のど真ん中で(笑)
両親や祖父母がプレゼントはちゃんと用意してくれるけど、家も会社もとにかく忙しい。そんな環境だったから、自然と「助けたいな」って思うことが多かったですね。
小さい頃は出荷のシール貼りをしたり、ギフト箱の商品名シールを貼ったり。当時はそろばんもやってたので、請求書の計算のお手伝いをしたり。今思うと「小さいながらに副業してた」というような感覚です。

学校でも「河内屋」「かまぼこ屋」って言われることも多かったし、イベントのお手伝いをしているときはお客さまから「また来るよ!」とか「おいしかった」って直接言われる瞬間が多くて。ブランドとして信頼されているのは肌で感じてました。
社員も仕事に誇りを持って働いているし、生き生きして見えた。だから私自身も幼いながらに、河内屋を誇りに思っていたと記憶しています。

「跡を継ぐ」はプレッシャーじゃなく、使命感だった

社会に出てからは「家業を継ぐ可能性」について、どう受け止めていましたか?

河内さん:正直プレッシャーはそこまで強く感じたことはなくて、どちらかというと「河内屋を残していかないと」っていう使命感の方が大きかった。

私は割とポジティブな方なので、「うわ、きつい」って背負い込むより、「どうやったら目の前のお客様を喜ばせられるか」「どう新しいことにチャレンジするか」を考える方が楽しいんです。そう思えるのは、同じような思いで働いている従業員がたくさんいることも大きいですね。

もし自分一人だけが使命感を持っていて、周りを全部変えなきゃいけない状況だったら、負担になってたかもしれない。でも当社の社員やパートも含めて、前向きでポジティブな人が多い。だからこそ、私自身も使命感をエネルギーに変えて前向きに走れている感覚の方が強いですね。

祖父の入院がきっかけで、意識が大きく変わった

「当たり前の存在」が「残していく使命感」に変わった決定的な瞬間はどこでしたか。

河内さん:高校3年生の時、祖父の肺がんが脳に転移して、入院先から実家に戻ってきた時です。あんなに立派でたくましかった祖父が、信じられないほど弱々しい姿で帰ってきた。そんな祖父の手を握って「僕が河内屋を継ぐからね」と伝えた瞬間、強く手を握り返してくれたんです。その時に「やんないといけない」という使命感が芽生えましたね。

もちろん両親のことも尊敬してるし感謝しています。でも、祖父と過ごす時間が多かった分、私の中で「河内屋」という存在と強く結びついているのは祖父だったんです。
だから、生前は会長だった祖父や、河内屋の現代表である父が必死につくり上げてきた河内屋というブランドを絶対に守りたいと思った。
自分のスイッチが入った瞬間はそこだったと思います。

もちろん、別の道がゼロだったわけじゃないです。でも、天秤にかけた時に、「生まれ育った河内屋に恩返しがしたい」という思いの方が強かった。河内屋でやりきって、後世に託した後に好きなことやればいい。
極端に言うと、それくらいの覚悟ができた瞬間でした。

「伝統と革新」を言葉にして、組織のブレを止める

どんな信念を持って事業を運営していますか?

河内さん:実は、創業80年を迎えるタイミングもあって、MVVを新しく策定しようと動いています。経営理念自体は創業から変わっていない。でも、世の中の状況は大きく変わっている。だから再構築しないと、みんなが同じ目線で共有できる「コンパス」が弱いままだと思ったんです。

実際、朝礼で理念を唱和していても「ただ唱和してるだけ」というような感覚があって。
現場は河内屋の商品に誇りを持ってるのに「うちのこだわり」「使命感」「ビジョン」が言葉として明文化されていないから、人によって解釈が変わって、ブレが生まれているなと。
信念がブレれば品質もブレる。
これは持続可能な経営の足かせになるなと思いました。

だから去年から全従業員(パートさん含め約50人)と1on1を年1回やって、今年で2年目に入っています。ベテランの方の入社時の想い、河内屋の価値観、好きな商品、河内屋はどんな存在ですか?というような問いを通して、バリューにつながる要素を拾っている最中です。
過去の記事や新聞も読み込んで、自社の歴史の言語化もしています。

自分の中では、河内屋のあるべき姿としてふさわしいキーワードは「伝統と革新」なのではないかという感覚が強いです。ただ、言い回しはもっと“うちらしさ”が出る形に磨いていきたいと思っています。

守るために削る。改革の核心は「選択と集中」

専務として最も重かった意思決定は何ですか。

河内さん:一番重かったのは、商品が多すぎる状況を整理したことです。
職人がひとつひとつ手作業で作りますし、現場の属人性が高い。これだと、現場に負荷がかかって守りたいものすら守れなくなる。

だから、単品からセット商品まで30品目ほど削りました。すり身のレシピも4つあったものを1つ減らした。祖父が開発した鮨蒲(すしかま)のアソートパック「美味五彩(※1)」はロングセラー商品でしたが、これも廃番にしました。
商品への強い愛着だってありますし、正直すごく心苦しかったです。
でも、次の新しい挑戦にリソースを回せないと、河内屋の未来が作れないからです。

「効率化」と「伝統の維持」は、私の中では半々という感覚で、そもそも経営状態が良くないと、残したいものも残せない。
だからDX化も進めてきました。原価計算をエクセルで管理していたのですが、キントーンでアプリを作成して一元管理できるようにしましたし、給与計算や労務管理もクラウド化して内製化する。社内チャットも全従業員に入れて、部署間・店舗間のコミュニケーションを整える。
まずは見直せるところからしっかりと仕組みを作らないと、次世代に継承できないと思ったからです。

ただし線引きはあります。
「機械化した瞬間に味が落ちる」なら、河内屋の判断としては絶対にやらない。
例えば鮨蒲(すしかま)であれば、上に乗っているからこそ鮨ネタの風味と、かまぼこの食感が両立する。中に全部混ぜ込めば手間暇かからずに簡単に作れるけど、それはやらない。
おいしさが損なわれるし、見た目も美しくなくなるからです。そこは絶対にぶれない。

そして、河内屋の価値は品質だけじゃなく「斬新さ」にもあると思っています。
鮨蒲(すしかま)はうちが元祖で、新たに打ち出した棒S(ボウズ)も含めて、簡単には真似できない独自性がある。手間がかかるからこそ、ワクワクを届けられるし、お客さまの“ハレの日”を彩れる。
職人も、変化を嫌がらずに試作や新商品に挑戦する気質が根付いている。見た目の美しさも、ギフトとして「もらわれるお客さま」ことを考えたら絶対に妥協できない。
これは職人だけじゃなく、包装・出荷・販売まで含めた全体の認識です。

(※1) 「美味五彩」は第62回全国水産加工たべもの展で農林水産大臣賞を受賞

河内屋ブランドへの誇りと、揺るぎない富山プライド

河内屋を通して、今後はどのような未来を描いていますか。

河内さん:正直、河内屋はまだまだ発展途上だと思ってます。富山県内でも呉東には強かったけど呉西はまだ伸びしろがある。私が入ってからは西側にも営業して、少しずつ「河内屋」が受け入れられてきた実感があります。

でも、目標は富山県内に収まらないことです。百貨店様などで催事出店をはじめ、東京・名古屋・京都・大阪などでもお客さまの手に取っていただけるようになり、今ではオンラインショップも3年前と比較すると150%成長することができました。

私は河内屋が「日本一美味しいかまぼこを作ってる」と本気で思っているから、もっとたくさんの人に知ってほしい。そして、富山に観光で来た人に「食」でがっかりしてほしくないんです。
「富山の食べ物ってやっぱ美味しいわ」って思って帰ってほしい。その体験の入口に、河内屋の作る商品がなれたらいい。富山の水、魚、農産物、日本酒——どれを取ってもおいしい。
この土地はポテンシャルが高い。でもブランド化が弱くて埋もれて、継承できずに消えていくのは本当に悲しい。だからこそ、河内屋としても「富山の誇りを持って、地域が誇る唯一無二のブランドを作り続たい」という信念を持っています。
河内屋を通して、富山の魅力を日本だけじゃなくて世界にも発信していきたい。

「河内屋とは何か」と聞かれたら、今はまだ“富山のかまぼこ屋”かもしれない。でも将来もかまぼこだけに固執する必要はない。河内屋の根幹は、新しい価値を生み出し続けるメーカーとしての挑戦心と、それを支える技術と文化です。
これは先代の祖父、そして現代表の父も同じ思いです。
富山にまつわる食で、まだ見ぬ価値を作る余地はあると思っています。

「個」を育てて未来を描いていく

若手世代へのメッセージをお願いします。

河内さん:すべてではありませんが、富山は保守的というか、引かれた路線に乗ることを「こうあるべき」と強制されやすい空気があると感じることもあります。でも今の時代は、自分で考えて、自分なりに早く意思決定して、いろんな体験とチャレンジを重ねないと、個が育たないと思っています。

他者の評価は、気にしすぎても仕方ないです。自分がどうしたいか、そこに身を委ねた方がいい。
その見つけ方は、結局「いろいろやる」しかないかもしれません。
外に出る、人に会う、話を聞く、挑戦する。
自分が人生を投じてやれそうなものを、早めに見つけてほしい。時間は短いし、世界を見ればもっと速いスピードで進歩している。
偉そうになってしまいましたが、正直に言うと私自身もまだまだチャレンジが足りていません。
だからこそ、次の世代の皆さんと一緒に、私自身も頑張りたいと思っています。

私の仕事の定義は「使命感」だと思っています。使命感って苦しいものじゃなくて、楽しいものにもできる。伝統を守るために革新を続ける。地域の誇りを、次の世代へ渡す。
そのバトンを、若い人たちが自分の意思で掴みにいける社会にしていきたいです。
富山には、その挑戦に値するだけの価値が、ちゃんとあると思っています。

ライター:長谷川 泰我

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