富山の神社を支え続ける注連縄屋、116年の歴史——(株)折橋商店

富山の神社を支え続ける注連縄屋、116年の歴史——(株)折橋商店
株式会社折橋商店

株式会社折橋商店

株式会社折橋商店は、明治43年創業。富山県射水市を拠点に神社用しめ縄と漁業用ロープ・漁網を製造・販売する会社です。藁綱づくりで培った伝統技術に合成繊維技術を融合し、約30年という驚異的な耐久性を誇るしめ縄を開発。
神社の維持管理の負担を軽減しながら、100年以上続くものづくりへのこだわりを次の世代へとつないでいます。

漁師町から始まった、116年の注連縄(しめなわ)づくり

創業の経緯と事業内容を教えてください

折橋さん:私は創業からだと10代目、法人成りから数えると4代目にあたります。当社の創業は明治43年、西暦でいうと1910年なので、今年で116年(2026年7月現在)になりますね。正直把握しきれていないくらいの長い歴史がある会社です。

事業内容としては、主に神社のしめ縄を化学繊維なども用いながら手づくりで作っています。もともと新湊のこの近辺は、奈呉(なご)の江地区と呼ばれる潟湖で※①、そこで藁綱(わらづな)つまり定置網の側面に張る太い縄を作る仕事から始まったと聞いています。
それが漁で使うような網づくりへと広がり、さらに「しめ縄も作れないか」と頼まれたことからしめ縄づくりが始まって、それから50年ほど経ってからポリプロピレンやポリエチレンを用いた長持ちする‟合成しめ縄”の開発が始まったそうです。すべての始まりは、漁師さんとの関わりからだったのだと思います。

本来、神社のしめ縄はその地域で育てた稲藁を氏子(うじこ)さんたちが集まって作るものなのですが、高齢化で担い手が減り、藁も昔のような手刈りではなくコンバイン刈りが主流になったことで長い藁が取りにくくなりました。同時に、毎年掛け替えることすら難しくなっている。
だからこそ、約30年使っていける化学繊維の丈夫なしめ縄を作り、神社を維持して守っていくことで、私たちの仕事が貢献ができるのではないかと考えています。

先ほどもお話ししましたが、漁業用のロープなども製造しているのですが、今では神社用のしめ縄が事業の中心で、年間350〜400本ほどを製造し、創業から数えると、作った本数は15,000~16,000本にのぼります。古いものも含めると富山県内のシェアは7,8割ほどではないかと思います。
一本のしめ縄を作るのには、標準的なサイズで約1ヶ月。大きなものになると1ヶ月半から2ヶ月以上かかります。神様に捧げるものだという意識があるので、職人は妥協せず一本一本手作りでしめ縄を作っています。

神社に納める仕事なので、氏子総代の方や宮司さん、神主さんから神社のしきたりについて教えてもらうことも多く、自然と神道の知識が身についていきましたね。神道は仏教ほど意識されることは少ないかもしれませんが、実は「いただきます」「ごちそうさま」のように、日本人の暮らしの根っこにある文化そのものだと思っています。八百万の神(やおよろずのかみ)という考え方に象徴されるように、いろいろなものに感謝する日本人らしさの土台になっている。
私もこの仕事をするようになってから学ぶようになりましたが、知っておいて損はないものだと感じています。

※①伏木港から放生津潟にかけての沿海・入江の古称(現在の富山県射水市新湊周辺の海域)。天平の時代越中国の国主大伴家持が、万葉集で「あゆの風(東風)いたく吹くらし奈呉の海人の釣りする小舟漕ぐ隠る見ゆ」と詠んだと知られている。奈呉の江(放生津潟)は周囲約6km、面積はおおむね1.7平方キロメートル(170ヘクタール)の規模で、水深はおおむね1m〜2m前後の浅い潟湖(ラグーン)だったと記録されている。現在は開発により工業専用地域や街区公園(奈呉の江東公園など)が整備されている。

経営の勉強はしていた。ただ、継ぐためではなかった

今の事業を承継したきっかけを教えてください

折橋さん:正直なところ、もともと今の仕事に携わるつもりはありませんでした。私は前職でトラックの運転手をしていて、個人的に車が好きだったこともあり、いずれは車に関わる仕事を自分で始めるために経営の勉強をしていたくらいです(笑)
うっすらとは「もしかしたら会社を継ぐかもしれない」という感覚はありましたが、当時の仕事に不満があったわけでもありませんでしたし、自分で会社を興そうと思っていたくらいなので、継ぐことはほとんど意識していませんでしたね。

転機は私が28歳の時でした。父が癌で半年以上入院することになったのです。
父の入院から一ヶ月ほど経った頃、当社の税理士さんから「あんちゃん、来てくれんか」と電話があったんです。話を聞くと、もうすでに会社の資金は枯渇しかけていて自転車操業の状態だったんです。
「新しい人間が銀行の前に立って、説明すれば事業資金を借りられるかもしれない。これが最後のチャンスなんだ。」と言われたのです。

その話を聞いたときは、正直いうと不意を突かれたような気持ちでした。すでに土地なども抵当に入っていて、自分が‟継がない”という選択をすれば、会社や資産そのものがなくなってしまうという状況で、選択肢はほとんどないようなものでした。
ただ、父が倒れて、母も妹も取り乱していたあの状況で、「私を育ててくれた家族が困っているときに、自分のやりたい事を優先して見て見ぬふりはできない」という思いが一番でした。
小さい頃から身近にあった会社がなくなるのは寂しいし、この良さをもっと外に発信しなければいけないという使命感を強く感じたことを覚えています。

10年で1億5千万以上の赤字、自己破産まで数ヶ月。眠れない日々の先に見えた再建の軌跡。

この場所に戻ってきてから大変だったことはありますか?

折橋さん:会社に入って帳簿を見ると、10年以上、毎年1千万円近い赤字が続いていることが分かったんです。まず何かを変えなければ状況は悪くなる一方だと考え、十数年分の帳簿を洗い直すところから始めました。網事業は原価が高すぎたため、漁師さんたちにも頭を下げて価格改定をお願いし、しめ縄事業についてはホームページも作り、自社の取り組みを発信することから始めました。当時はすぐに結果が出るわけもなく、暗闇の中を手探りで歩いているような感覚でしたね。

感情的に一番苦しかったのは、運転資金として約2千万円の融資を受けたあとの数ヶ月です。当時の資金では3、4ヶ月しかもたない見通しで、このままいけば数か月後には‟自己破産”という状況。銀行からは毎週のように「どうするんですか」と言われ、眠ろうとすると数字の事や将来のことが頭をめぐってまったく眠れない日々が続きました。

状況が大きく動いたのは、新しく入った事務員さんから「数字が合わない理由が分かった」という報告を受けた時のとこです。詳しい経緯は公にできない部分もありますが、結果として、一緒に働いていたメンバーの裏切りがあり、それが会社の借入比率を大きく押し上げていたことが分かったのです。
発覚した瞬間は、該当メンバーへの憎しみや怒りよりも、「ようやく理由が分かった」という安堵の方が大きかったことを覚えています。なぜなら、それまでに削れる費用は削りきっていたので、これ以上どうすればいいのかもう分からない状況だったからです。その人とは手を切り、新しい従業員を迎えて、少しずつ会社を立て直していきました。

今ではしめ縄事業の売上は当時と比べておよそ6割増え、網事業も価格改定によって何とか事業として成り立つところまで持ち直すことができました。まだ少しずつではありますが、着実に前に進んでいる実感がありますね。

時間がかかってもいい、綺麗なものを。しめ縄職人が守り抜く一つの信念

事業を運営する中で折橋さんが大切にしている事はありますか?

折橋さん:しめ縄事業で大事にしているのは、神様の前に掛けるものだからこそ、細部にまでこだわり、自分たちが本当に納得できるものを作るということです。会社の理念のひとつにも「お客さま一人一人に誠心誠意向き合い、地域への貢献を目指す」ということを掲げています。
神様に出すものである以前に、まずお客さまがいて、注文をいただいている。予算に合わせたご提案をすることもありますし、「費用をかけてでもこだわりたい」という声があれば、それに応えるものを作ることもあります。お客さまが本当に求めているものを叶えることを、一番大切にしていますね。

現場では、「時間がかかってもいいから本当に綺麗なものを作ってほしい」と職人たちに伝えています。しめ縄は複数の縄を合わせていく工程があり、左右対称で美しい状態に仕上がるまで妥協なく作り込む。何十年もこの仕事をしてきた職人が納得し、私たちも納得し、そしてお客さまにも満足していただける。そこにたどり着くのは簡単なことではありませんが、その積み重ねがこれまでの信用につながるのだと思っています。

職人さんたちに対しては、私自身がまだまだ学ぶ立場なので、教えてもらうことを素直に受け止めるようにしています。一人前と呼べるようになるまでには、人にもよりますが数年はかかる。まさに職人の世界だと思います。

富山への想いと、目指す「日本一」

富山という場所をどのように見ていますか?

折橋さん:当社の事業を一番支えてくれているのはやはり富山県の皆さまです。今は全国に向けて商品を発信していますが、これまで支えてもらった富山に対して何が恩返しできるかはいつも考えています。その一つとして、地元の神社と協力し、しめ縄作りのためだけに育てられた「青わら」を使った体験イベントを行っています。
しめ縄を作る意味や日本の文化の面白さを知ってもらう場で、ボランティアに近いものですが、こうした古い文化を守り、発信していく機会を作ることに意味があると思っています。

富山には都会とは違う良さがあると感じています。美味しいものが当たり前にあり、田舎特有の過ごしやすい雰囲気があり、獲れた野菜や魚を分け合うような、心の優しい地域のつながりが残っている。富山市、高岡市、射水市、氷見市、魚津市、滑川市と、それぞれの地域に地元への誇りを持った人が多く、人口は少なくても地域性が強い。
だからこそ、無理に都会を追いかけるのではなく、今あるものを発信していくことが大事なのではないかと思っています。結局、都会にないものこそ、都会の人には魅力的に映るものですから。

神社という文化を守るために。折橋商店が見据える未来

今後の展望について教えてください

折橋さん:今後の展望としては、日本一知られていて、日本一たくさんしめ縄を作っている、そんな「日本一のしめ縄屋」を目指したいと思っています。会社のビジョンにも掲げている「価格以上の満足度をお届けし、地域の皆様のパートナーとして存在すること」という言葉の通り、神社の困りごとがあれば「折橋に聞けば何とかなる」と言ってもらえるような会社に育てていきたいです。
そのためにも、まずは神社が抱えている課題やお客さまの悩みに、一つひとつ向き合っていくことが必要だと考えています。

最近では、新しい商品「雅(みやび)」も作りました。従来品の「山吹」に加えて、これまでにない繊維感と、天然素材に近い色合いを目指した商品です。「雅」という名前は、亡くなった父・雅仁の名前から字をつけました。父が生きた証を残したいという想いもありましたし、お客さまのニーズに応じられる選択肢を増やしたいという想いも込めています。

神社は、地域コミュニティの中心にある存在だと思っています。海外から見ても、参拝という文化は日本ならではのもので、これがなくなってしまうと、日本という国の大切な部分にぽっかり穴が開いてしまうのではないかと思うのです。だからこそ、これからも守っていかなければならないと思っています。

若い世代へ——古い文化にも、目を向けてほしい

若手世代の読者へのメッセージをお願いします。

折橋さん:若い世代には、古い文化にも目を向けてほしいと伝えたいです。未来を想像し、未来にフォーカスしていくことはもちろん大切ですが、歴史を知ることも同じくらい大切だと思っています。今ある歴史は、守っていかなければ簡単に消えてしまうものだからです。

神道は本来、日本人のアイデンティティの根幹にあるべき文化ですが、教育の中で語られる機会が少ないように感じます。私たちが行っているしめ縄作り体験も、そうした歴史の一部に触れてもらうきっかけの一つです。正月に初詣に行くという当たり前の習慣ひとつをとっても、私たちはすでに神道の文化の中にいる。身近にありすぎて気づかない部分に、少しだけ目を向けてもらえたら嬉しいです。

しめ縄事業に限らず、宮大工や富山の井波彫刻のような、古くから続く仕事を守っていくことも大切だと思っています。実際にやってみると、意外と面白いものです。合理性だけが世界を作っているわけではないということを、私たちの取り組みを通して少しでも知ってもらえたらと思います。

企画・運営会社:株式会社ミミタス
撮影・ライター:長谷川 泰我
当メディアに関するお問い合わせ:memi.co.jp

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